2026年正月の新潮流。「作らない美学」を掲げる土井善晴流おせちが、重箱の呪縛から現代人を解き放つ
土井 善晴 おせちの神髄は、敷居を徹底的に下げながらも和食の温もりを損なわない「引き算の美学」にある。三段重を隙間なく埋め尽くす豪華絢爛な市販品が市場を席巻する陰で、年末の厨房には長年、目に見えない疲弊感が漂っていた。料理研究家の土井善晴氏が提唱する「無理をしない料理」「一汁一菜」の思想は、2026年を迎えた今、正月料理のあり方そのものを静かに、しかし決定的に変えつつある。
長引く物価高や多忙なライフスタイルの中で、肩の力を抜いて楽しむ土井 善晴 おせちの流儀に共鳴する人が世代を問わず急増している。好きなものを数品だけ丁寧に仕込み、あとは日々の食卓の延長として温かい汁物と味わう。型にはまった贅沢への疲れを癒やすこの柔軟な選択こそが、今の日本人が心から求めていた正月の本当の豊かさと言えるだろう。
1. 豪華な三段重という呪縛。年末の厨房を覆っていた疲労感

かつて正月の準備といえば、大掃除を終えた後、何日もかけて煮物や焼き物を仕込む一大事業だった。あるいは何万円もの予算を投じて有名ホテルや百貨店のおせちを予約する。どちらを選んでも、そこには「正月だからちゃんとしなければならない」という重苦しいプレッシャーが存在した。
だが、無理をして並べた豪華なごちそうは、三日目には飽きられ、傷みを気にしながら食べ進める羽目になることもしばしばだ。食品ロスへの懸念が日常化する中で、見栄えのためだけに並べられる重箱料理に冷ややかな視線が注がれるのは必然だった。
2. 「一汁一菜」から昇華した、土井流おせちの自由な思想

土井善晴氏の提案は至ってシンプルだ。おせちはめでたい節目を祝うための記号であり、家族が笑って過ごすための道具にすぎない。だからこそ、重箱を埋めるために好きでもない料理を買い揃える必要などどこにもないのだ。
黒豆だけをじっくり煮る。あるいは、出汁をしっかり引いた雑煮を中心に据え、数品の小鉢を添える。それだけで正月の食卓は十分に成立する。「料理はハレとケの境界線を自由に行き来していい」。その言葉通り、日々の献立と正月の境界を溶かすことで、調理を担う人々を長年の重労働から解放したのである。
3. 2026年、なぜ「無理のないおせち」が選ばれるのか

2026年の消費意識を決定づけているのは、外面の豪華さよりも内面の納得感だ。SNSで見栄えのする写真を投稿するために追われる時代は終わりを迎えた。今人々が渇望しているのは、自分と家族の心身が本当に満たされる時間である。
高騰を続ける食材費の中で、無駄な買い出しを省き、本当に食べたいものだけを丁寧に作るスタイルは経済的にも極めて合理的だ。土井氏の提案は、時代の変化と人々の本音が交差する絶妙な地点にまっすぐ届いている。
4. 伝統を絶やさないための「手放し方」と新しい継承の形
「伝統を守る」とは、昔ながらの形式を寸分違わず丸暗記して繰り返すことではない。時代に合わせて形を変え、生活の中に無理なく根付かせることこそが、真の文化継承だ。
土井氏が示すおせちの形は、伝統の破壊ではなく再生である。敷居が高すぎて誰も作らなくなるくらいなら、簡略化してでも毎年の楽しみにする方がずっといい。伊達巻や数の子など、家族が本当に喜ぶものだけを手作りするか、気に入った一品を買い求める。その軽やかさこそが、次世代へ和食の心を繋ぐ架け橋となる。
5. 雑煮こそが正月の主役。出汁が結ぶ家族の記憶
重箱の料理に気をとられがちだが、土井流において最も重要な位置を占めるのは、実は温かい雑煮だ。地域や家庭ごとに異なる雑煮の出汁と具材には、その土地の風土と家族の歴史が濃縮されている。
冷えたおせちをつまむだけでなく、湯気が立ち上るお雑煮を一口すする。その瞬間に広がる出汁の香りが、正月の訪れを五感で教えてくれる。豪華な重箱がなくても、上質な出汁をひいたお雑煮があれば、それだけで正月は完璧に完成するのだ。
6. 正月を本当の休日に。私たちが手に入れた新しいゆとり
かつておせちは「正月に家事をする人を休ませるための保存食」と言われていた。しかし、そのおせちを作るために年末に過剰な労働が発生していたのだとすれば本末転倒である。
料理の手間を減らし、心が喜ぶものだけを味わう。空いた時間で家族と語り合い、散歩に出かけ、本を読む。土井氏のおせち論が私達にもたらしたのは、単なる時短レシピではなく、「正月を本当の休日として取り戻す」という生き方そのものの提案だった。 (出典: 土井 善晴 おせち(Yahoo!ニュース))