昭和・平成の熱気を超えて——秀ノ山親方となった琴奨菊が目指す、令和大相撲の新時代と「がぶり寄り」魂の継承
琴 奨 菊という名を聞いて、あの豪快な「がぶり寄り」と、取組直前に天井を見上げるように背中を大きく反らす独特のルーティンを思い出す相撲ファンは今なお多いはずだ。日本出身力士として10年ぶりの幕内優勝を果たし、大相撲界に一大旋風を巻き起こした元大関が、土俵を去ってから数年。現在の角界において、彼の存在感は現役時代とはまた異なる、静かだが確固たる熱を帯びて広がっている。
2026年、春場所を迎えた国技館の支度部屋近くで、弟子たちの動きを鋭い目つきで見つめる指導者の姿があった。年寄・秀ノ山として自身の部屋を率いる琴 奨 菊は、かつて泥臭く土俵を沸かせた熱量をそのままに、新世代の若手力士たちを育成する第一線に立っている。時代の大きな変革期を迎えている大相撲において、彼が歩む指導者としての道筋は、伝統と革新が交差するきわめて興味深いドラマだ。
怪力と「がぶり」に秘められた泥臭い執念の原点

琴奨菊の現役時代を象徴するのは、間違いなくあの圧倒的な前進力だった。相手の回しを深く掴み、下腹部から押し上げるように土俵外へ追い詰める「がぶり寄り」。体格に恵まれた外国出身力士や技巧派がひしめく幕内上位で、彼が泥臭く磨き上げた攻撃型相撲は、観客の胸を激しく揺さぶった。
怪我との戦いも凄まじいものだった。膝や左胸の重傷に苦しみながらも、決して言い訳をせず、ただひたすらに土俵に立ち続けた。不器用なまでに愚直なその姿勢こそが、昭和の熱気を受け継ぎ、平成の土俵を支えた男の真骨頂だったと言える。
「琴バウアー」が変えた大相撲のルーティン改革

仕切り線に立つ直前、上半身を大きく後ろへ反らせて深呼吸する姿は、いつしか「琴バウアー」の愛称で親しまれた。単なるパフォーマンスではない。アスリートとしての集中力を高め、極限の緊張状態の中で自らのメンタルをコントロールするための、計算された動作だった。
大相撲の世界にルーティンやメンタルトレーニングという観念を実質的に持ち込んだパイオニアとして、彼の試みは当時のスポーツ科学の視点からも高く評価された。一瞬の油断が勝敗を分ける土俵上で、自分だけの「スイッチ」を持つことの大切さを、彼は身をもって証明してみせたのだ。
秀ノ山部屋の始動——科学的アプローチと情熱の融合

親方として独立を果たし、秀ノ山部屋を立ち上げてから数年。現在の稽古場には、伝統的な相撲の稽古風景の中に、新たな息吹が吹き込まれている。映像分析による立ち合い角度のチェック、栄養管理の徹底、可動域を広げるためのストレッチプログラムなど、現代的なアプローチがごく自然に取り入れられている。
「昔ながらの根性論だけでは、現代の若者は育たない。なぜこの動きが必要なのかを言葉で伝え、納得させることが重要だ」と彼は語る。現役時代の経験と最新のスポーツ理論を融合させた指導法は、角界の次世代育成モデルとして早くも注目を集めている。
「がぶり寄り」のイズム——立ち合い一瞬に賭ける指導哲学
秀ノ山部屋の弟子たちに叩き込まれているのは、やはり「一歩目」への執着だ。下がる相撲ではなく、常に前へ出る圧力。相手に腰を引かせない重厚な立ち合い。それはまさに、現役時代の彼が土俵上で表現し続けた生き様そのものである。
勝ち負けの結果だけに一喜一憂するのではなく、土俵際で見せる「粘り」と「前進力」を重視する。土俵の上で自分の相撲を取り切るための準備、そして土俵を下りたあとの人間性。指導者としての彼の言葉には、数々の修羅場を潜り抜けてきた男ならではの重みが宿っている。
故郷・柳川への想いと地域に根差した力士育成
福岡県柳川市出身の彼は、地元への愛着が極めて強いことでも知られる。現役時代、柳川の川下り舟での優勝パレードに集まった無数の笑顔は、今も彼の大きな原動力だ。九州場所の時期に限らず、故郷との絆を大切にし、地元からのスカウトや青少年育成にも意欲を見せている。
地方から新たな才能を発掘し、しっかりと育て上げて国技館の土俵へと送り出す。地域社会と相撲部屋との新しい関係性を構築しようとする取り組みは、大相撲全体のファン層拡大や底上げにも寄与している。
2026年、令和の大相撲界で秀ノ山親方が担う大きな役割
相撲界は今、国際化や世代交代、観客層の多様化など、かつてないスピードで変化を続けている。その中で、伝統的な大相撲の「味」と、現代的な「進化」の両方を知る秀ノ山親方の存在価値は高まるばかりだ。
泥にまみれて土俵を押し込み、ファンを熱狂させたあの日の記憶。その熱量は形を変え、いま弟子たちの背中を押し、新しい大相撲の歴史を創り出そうとしている。土俵の傍らで見守る男の挑戦は、まだ始まったばかりだ。 (出典: 琴 奨 菊(Yahoo!ニュース))